●安芸 鏡山城(鏡城)
住所:広島県東広島市鏡山二丁目
駐車場:あり
遺構:曲輪、虎口、掘切、竪堀、土塁、石垣、井戸跡、土橋
標高:331メートル/比高:103メートル
国指定史跡。西条盆地の中央にあり周囲の一望が可能で四方への移動にも便利という絶好の場所にあった。築城年代は不明だが周防の大内氏が安芸に進出した14世紀後半頃だと考えられている(異説あり)。
東西条(現在の東広島市と呉市の一部を含む地域)の支配拠点として大内氏が重視し、応仁の乱前後には安芸の国人領主だった小早川氏や毛利氏などを巻き込んで、安芸守護・安芸武田氏と争奪戦が繰り広げられた。文明10(1478)年には大内氏が城の維持に関する規則を定めた「安芸国西条鏡城法式条々」が発令している。鏡山城には大内氏の東西条の行政官と城督を兼ねた内藤弘矩、杉武明、陶興房ら重臣が任命され、その代官が現地に赴いた。
大永3(1523)年、出雲の尼子経久が安芸に侵攻し毛利氏などを味方につけ鏡山城を攻撃し手に入れる。だが大永5(1525)年頃に大内氏によって安芸から尼子勢が駆逐されると峻険な曽場が城に拠点が移され鏡山城は廃城となった。
(下にスクロールするとある縄張図の5郭(通称・下のダバ)。井戸跡もある)
(南側の畦状竪堀群。目視だとはっきり分かったが写真だと伝わりづらい。遺構あるあるだな)
参考文献:広島県の地名、安芸の山城、東広島市公式サイト、鏡山城跡リーフレット
感想:散歩されている地元の方が多くおられ、麓では歌っている方もいました。地元で親しまれている山でした。
写真は土砂崩れ前の2016年と後の2024年が混在しています。