飛騨高山城(金森長近・広瀬武夫の像)

住所:岐阜県高山市城山

 飛騨の守護・京極氏の家臣だった高山氏が築いたのが最初と言われている(この頃は天神山城という名だった)。しかし高山氏は三木氏によって滅亡。城は三木氏のものとなる。その後、三木氏は城を近くの松倉に移して飛騨の大半を手に入れるが、1585年に豊臣秀吉に反抗した佐々成政と手を結んだため、金森長近によって滅ぼされた。
 飛騨一国を与えられた長近は天神山城跡に城を改修し高山城と改名。そして107年間、金森氏が飛騨を治めたが、1692年に五代将軍・綱吉の不興を買って出羽上山に移封されてしまう。その後、飛騨は幕府の直轄地になり陣屋を設けて支配した。高山城は隣の前田藩が管理したが負担となったため、3年後に廃城が決まって2ヶ月間かけて徹底的に破壊された。
 現在は城山公園となり市民の憩いの場となっている。

(南之出丸)

(復元された石垣)

(本丸跡)

(堀)

(護国神社(三の丸))

(城山公園に建つ金森長近の像)

(日露戦争で活躍した広瀬武夫の銅像。本丸への入り口付近に建っている。武夫は大分県竹田市の生まれで、父が高山裁判所長として赴任したため小学生時代を高山で過ごしている。)

コラム:高山は街の雰囲気が中国山脈の山間の市町村(三次・庄原・新見・津山など)と似てました。
 城山公園にはそこそこ人がいましたが、本丸に行く人は皆無でした。




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