高山陣屋(江戸幕府の役所)

住所:岐阜県高山市八軒町1丁目5

 1692年、飛騨高山藩主だった金森家が出羽上山に減封され天領となったため、幕府から派遣された代官や手代などが当地の政務を執った。そのために造られたのが高山陣屋である。明治維新以降も高山県庁、筑摩県支庁、大野郡役所、飛騨県事務所などに1969年まで利用された。
 その後、岐阜県教育委員会の所轄となり全国に現存する唯一の幕府の陣屋を保存するため、1996年まで3度に渡り玄関・大広間・白州・御蔵などの修理を行っている。

(表門)

(玄関)

(玄関之間)

(代官(郡代)らが政務を執った御役所)

(地役人が事務処理を行っていた御用場)

(町組頭詰所)

(客を接待した座敷)

(茶の間)

(土間)

(儀式や会議などが行われた広間(書院))

(米蔵だった御蔵。中は資料館となっており撮影禁止になっている)

(座敷の辺りを外から撮影)

感想:御蔵での飛騨の歴史は騒動や一揆の話が多かったのが印象に残っています。貧しい国だったため苦労したのでしょうね…。あと飛騨と言えば「あゝ野麦峠」ですね。


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