法華寺(加藤光正の墓)

住所:岐阜県高山市天性寺町62

 法華宗。1558年に創建された。1632年、加藤清正の嫡孫・光正が高山藩主・金森重頼に預かりとなり当地で亡くなった際、その死を哀れんだ重頼が加藤家の信奉する法華宗系の当寺を菩提寺とする。
 寺宝である光正の遺品・膳部附蒔絵五段重は県の文化財に指定されている。この品は光正が生まれた際に清正が祝いの品として与え、光正が高山に配流の時に持参したものと伝わっている。

(山門)

(県指定文化財の本堂。光正は生前、本堂再建を願っていたが叶わず亡くなってしまう。重頼はその意志を継いで高山城二の丸にあった建物を移築して再建している)

(鐘楼)

(市指定文化財の番神堂。加藤清正像や鬼子母神像などが祀られている。この羽ばたくような雰囲気が良いなあ…)

(加藤光正の墓。付き従ってきた者達は光正の死後、帰農したという)

感想:高山市内には高山城から移築された建物が数多く残っています。


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法華寺(加藤光正の墓)」への2件のフィードバック

  1. 福島正則と加藤清正の系統は目を付けられていたので、よほど上手く立ち回らない限り改易を免れるのは難しかったかと…。

    幼児甲冑もあるんですね。さすが地元の方です^^

  2. 結果論からなので辛口なのですが
    福島も加藤も苛烈な処遇ですよね。
    なんか加藤家のおとりつぶしの理由って
    加藤忠広の素行の悪さからとかよくわかりませんよね。

    法華寺には遺品として加藤光正の幼児甲冑もあります。

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