郡上八幡城

住所:岐阜県郡上市八幡町柳町

 1559年、遠藤盛数が八幡山に築城。1562年に慶隆が跡を継いで織田信長に仕えた。1588年に賤ケ岳の戦いで織田信孝に通じたという理由で美濃小原に移され、稲葉貞通が入る。関ヶ原の戦いでは東軍についた慶隆は高山城主・金森可重と協力して、西軍の貞通が篭る郡上八幡城を攻撃。その功で慶隆は城主に返り咲き、その後、遠藤氏が元禄年間まで郡上を支配した。
 遠藤氏に跡継ぎがなく改易されると井上氏が城主となるが、すぐに丹波亀山に移され、金森氏が入る。しかし重税のため有名な郡上一揆が起き改易。その後、青山氏が入り明治維新を迎えた。
 城は一度取り壊されたが、1933年に当時の大垣城を参考に再建される。現在は郡上市の顔として観光名所になっている。

(郡上八幡城の模擬天守と隅櫓)

(門)

(模擬天守から郡上市街地を望む)

(山内一豊と妻の像)

コラム:中腹から天守閣のある山頂に行く道ですが、とても狭くて何度も車を切り返してしまいました。でも他の車はすいすいと上へ、、、。同行者に何度も「下手だなあ~。何年同じ車で運転しているんだよ」って文句言われましたTT


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