孤峰山西光寺(尼子経久、山中鹿介ゆかりの梵鐘)

●孤峰山西光寺
住所:福岡県福岡市早良区内野2丁目7-13
駐車場:あり

 浄土真宗。文明元年(1469)に創建されたと伝わる。
 国宝の梵鐘は、紀年銘のある鐘としては日本で5番目に古く福岡県太宰府市の観世音寺の梵鐘と同型である。銘文には「承和六年鴨部立造便伯書国金石寺鐘(後略)」とあり、承和6年(839)に伯耆国鴨部郷の金石寺の鐘として鋳造された。伯耆国鴨部郷は現在の鳥取県西伯郡南部町鴨部と推定され、伯耆の鴨部氏が金石寺を創建し、梵鐘を鋳造したと考えられている(鳥取県倉吉市石塚の石塚廃寺塔跡が金石寺だという異説もある)。
 金石寺の廃寺後の経緯は不明だが、永正7年(1510)に尼子経久が伯耆にあった梵鐘を出雲大社に寄進した。出雲大社は境内の鐘楼に吊るしていたが、寛文2年(1662)に神仏分離したため、島根県出雲市大社町の別当寺だった松林寺に払い下げられる。
 明治維新後、松林寺は経済的困窮から、明治22年(1889)に梵鐘を島根県松江市の金物店に約100円で売却。その後、大阪府の古物商の大津庄兵衛が買い取り、明治30年(1897)に西光寺が360円で購入し現在に至る。
 当初は梵鐘の文化的価値が知られていなかったが、昭和16年(1941)に九州帝国大学講師の鏡山猛らが調査を行い、その価値が明らかになり戦時中の金属供出を免れた。
 また、尼子氏の家臣・山中鹿介幸盛が梵鐘を陣鐘として使用し、永禄2年(1559)に島根県出雲市高岡町の多福寺に寄進した後、多福寺が松江市の金物店に売却したという説もある。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(梵鐘。毎月1日と16日に一般公開されている。参拝したのが公開日でなかったため、外から頑張ってガラス越しから撮影した)
梵鐘

梵鐘

梵鐘

梵鐘

梵鐘

参考文献:福岡県の地名、大社町史 下巻、鳥取県の歴史散歩、あしあと 米子図書館古文書を読む会九十回の歩み、国宝・重要文化財仏教美術 九州 1(福岡)、早良区 彩食健美の玉手箱、現地の案内板

感想:地図で見ると山の方にある田舎の寺かと思ったら住宅街の中でした。大都会の福岡市を甘く見ていました。
 地元の伯耆と山中鹿介幸盛関連ということで、ずっと参拝したいと思っていた寺でした。鹿介なので西光寺(さいこうじ→再興)という寺号が合いますね。冗談はともかく、もし鹿介が出雲大社から持ち出した話が本当だとしたら永禄2年ではなく、尼子再興戦が始まる永禄12年(1569)だと思います。