●筑前町立大刀洗平和記念館
住所:福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
駐車場:あり
第一次世界大戦後、飛行機の軍事的利用への期待が日に日に高まったため大日本帝国陸軍は大正8(1919)年に現在の福岡県三井郡大刀洗町、朝倉郡筑前町、朝倉市にまたがる地域に大刀洗飛行場を建設した。現在の大分県日田市から材料を運んで地元民を含む労働者や馬などが陸地を運んで完成させている。
静岡や朝鮮半島への飛行実験が行われ、昭和4(1929)年から昭和15(1940)年には民間の国際空港としても利用された。昭和12(1937)年に日中戦争が勃発すると軍事基地として重要性が高まり大刀洗陸軍飛行学校が開校し、飛行場の前には軍人や生徒を目当てにした店が軒を連ねる。昭和20(1945)年3月、アメリカ軍の大規模爆撃を受けて飛行場と周囲の住宅は壊滅的な被害が出て飛行場は閉鎖となった。
戦後、平和への情報とメッセージを発信するため旧太刀洗駅舎を利用して博物館が設立。平成21(2009)年10月、飛行場跡地に現在の大刀洗平和記念館が開館した。
(ゴジラ-1.0で活躍した大日本帝国海軍の震電が展示してある。後ろにプロペラがあるエンテプッシャー式という独特のフォルムで人気が高い)
(零式艦上戦闘機三二型。太平洋戦争の緒戦で活躍した二一型の改良型である)
(大日本帝国陸軍の九七式戦闘機。一式戦闘機・隼の一つ前の主力戦闘機だった。陸軍では特攻機としてもっとも多く使用された)
飛行機ばかり見ていた訳ではなく展示も見ていた。飛行場の歴史、昭和20年の空襲のことなど。やはり一番見ていて辛かったのは飛行場で練習し特攻機に乗って出撃した当時の若者達の写真。16歳くらいの幼い顔をした男子もおり、いろいろと考えさせられるものがあった。
参考文献:筑前町立大刀洗平和記念館公式サイト、大刀洗町史、福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」
感想:大刀洗平和記念館ができる前の個人運用されていた頃の博物館に行った記憶があります。陸軍の戦闘機・隼のエンジンを見た記憶がありますが定かではないです。
Tシャツ好きの友達にお土産として震電が描いてあるTシャツを買いました。