●久留米水天宮
住所:福岡県久留米市瀬下町265-1
駐車場:あり
祭神は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼。全国の水天宮の総本宮である。寿永4(1185)年、壇ノ浦の戦いで敗れた平家に同行していた按察使局伊勢は筑後川沿いの鷺野ヶ原に逃れ建久元(1190)年に水天宮を祀った。按察使局伊勢は剃髪して千代と改名し周辺の村民からの依頼で祈祷を行い尼御前と呼ばれ、やがて水天宮を祀った場所は尼御前神社や尼御前社と呼ばれるようになる。千代は平知盛の孫・右忠を跡継ぎにした。現在の宮司まで右忠の家系が続いているという。
慶安3(1650)年、久留米藩の二代藩主有馬忠頼から拝領した現在地に移転。瀬下町が久留米からの物資の搬入出口になると水難除けの神として知られるようになった。寛延2(1749)年、大坂借船船頭中から神輿が寄進される。幕末の思想家の眞木和泉守保臣は22代宮司で、元治元(1864)年に長州藩士と共に禁門の変(蛤御門の変)を起こし敗れて自害した。
現在は慶安3(1650)年の移転の祝いを契機として始まった筑後川花火大会などで賑わう。
(昭和19(1944)年のフィリピン沖海戦で沈んだ軍艦千歳の碑。筑後川の別名・千歳川から名前を取った航空母艦で艦内には水天宮が祀ってあった)
(眞木和泉守保臣を祀る眞木神社。和泉守の門下生なども祀っている)
(復元された山梔窩(くちなしのや)。眞木和泉守保臣が筑後市に謹慎した際、周辺の者たちを教育した建物である)
(眞木和泉守保臣の像。有名な人物なのに参拝客のほとんどが素通りしていた・・・)
参考文献:全国総本宮 水天宮、福岡県の地名、福岡県の歴史散歩、現地の案内板
感想:5月のゴールデンウィークに行ったのですが夏のように暑かったです。