●宮ノ陣神社(将軍梅)
住所:福岡県久留米市宮ノ陣5-12-1(字 宮瀬)
駐車場:あり
正平14(延文4,1359)年、後醍醐天皇の皇子・征西将軍宮懐良親王が菊池氏、名和氏などを率いて少弐頼尚ら北朝の軍勢とぶつかった筑後川の戦い(大保原の戦い)で懐良親王が陣を敷いた場所が宮ノ陣と呼ばれるようになった。天正14(1586)年、筑前岩屋城攻めから帰陣する島津家の重臣・上井覚兼が「高良山領宮之路」に泊まっている。近世には宮地(みやのじ)村になった。
明治12(1879)年頃、高良神社の宮司・船曳鉄門ら有志が久留米市合川町に小さな祠を建てて懐良親王の甥・良成親王を祀る。明治21(1888)年現在地に移転し、明治35(1902)年に社殿を改築した。明治44(1911)年には懐良親王の霊も合祀している。
(将軍梅。懐良親王の御手植の紅梅という伝承がある。最初の木が枯れたため、ひこばえ(切った草木の根や株からはえ出た芽)を繰り返して現在のように広がったと考えられている)
(明治33(1900)年、皇太子だった大正天皇が参拝されて松を御手植された)
参考文献:筑後志、久留米案内、久留米市誌 上編、久留米公式観光サイト ほとめきの街、福岡県の歴史散歩、福岡県の地名、現地の説明板
感想:大正天皇が松を御手植されたことを『久留米案内』は「千萬年の後に至るまで三井郡(当時ここは三井郡宮ノ陣村だった)の一角に大光輝(大きな名誉or大きな輝き)を加えたりと云うべし」と讃えています。戦前なので当然ですが表現がオーバーで笑ってしまいました。
この日はゴールデンウィークなのに真夏のように暑く仕事でも悩み事があったため参拝に集中できませんでした。