筑後 久留米城(篠原城、篠山城。久留米藩の居城)

●筑後 久留米城(篠原城、篠山城。久留米藩の居城)
住所:福岡県久留米市篠山町
駐車場:あり
遺構:曲輪、石垣、門跡、虎口、櫓跡
標高:21メートル/比高:7メートル

 県指定文化財。永正年間(1504~21年)、松田某が築き篠原城と称したという。この頃の城は北に筑後川が流れ周辺は湿地帯だった。高良山との関係が深く天正年間(1573~92年)には高良山座主の良寛の弟麟圭が城主だったと伝わる。天正13(1585)年、龍造寺軍に味方した麟圭に対し大友軍に味方した良寛が攻めるが数年耐えたという。
 天正15(1587)年、筑後北部を与えられた小早川(毛利)秀包が入城し高良山座主になっていた麟圭を殺害したという。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは秀包が西軍に味方したため黒田如水軍に攻められ開城、やがて改易される。その後、筑後全域を与えられた田中吉政が柳川城に入り久留米城は支城となった。
 元和6(1620)年、田中氏が無嗣断絶になると翌年に筑後の北部と中部を与えられた有馬豊氏が久留米城に入り居城とする。これ以前に一国一城令で廃城同然となっていたが城の改修と城下町の整備を行い久留米藩の基礎を固めた。以降、明治維新まで有馬氏が城主を務める。
 明治時代以降は建物が撤去され、堀はほとんどが埋められた。

(南西の石垣と堀。場所は下の概略図を参照)
南西の石垣と堀

(南東の石垣と堀)
南東の石垣と堀

(南の冠木門跡。虎口になっている)
南の冠木門跡

南の冠木門跡

(太鼓櫓跡)
太鼓櫓跡

(中央に建つ篠山神社。祭神は久留米藩主だった有馬豊氏、有馬頼徸、有馬頼永、有馬頼咸と日本中央競馬会理事長などを務めた有馬頼寧で、明治10(1877)年に旧藩士と領民の有志が有馬家を追慕と感謝のため創建した。本殿・拝殿・中門・透塀は国登録有形文化財になっている)
篠山神社

篠山神社

篠山神社

篠山神社

篠山神社

篠山神社

(北に流れる筑後川を望む)
筑後川

(乾櫓跡。その付近には大乗院稲荷神社が建つ)
乾櫓跡

乾櫓跡

乾櫓跡

(城の北側)
北側

(艮櫓跡)
艮櫓跡

(城の東側)
城の東側

(月見櫓跡)
月見櫓跡

(城の東にある久留米大学医学部のグラウンド。古地図を見ると、ここはかつて濠と曲輪だったようだ)
グラウンド

(駐車場になっている蜜柑丸跡)
蜜柑丸跡

(小早川(毛利)秀包を祀る小早川神社。毛利元就の息子で小早川隆景の養子になり、大友宗麟の娘(洗礼名:マセンシア)を娶った。夫婦ともに熱心なキリシタンで石扉にはアンドレアス十字が刻まれている)
小早川神社

(東の石垣)
東の石垣

参考文献:福岡県の歴史散歩、福岡県の中近世城館跡、九州の名城を歩く 福岡編、福岡県の地名、現地の案内板、篠山神社

感想:駐車場が満車でどうしようかと思っていたら城内にも駐車が可能でした。
 載せてはいないですが城内には様々な碑がありました。

(概略図)
概略図