2012年四国史跡巡り(4日目その2:繁多寺・星ノ岡城)

25.繁多寺・・・愛媛県松山市畑寺町32。四国八十八ヶ所霊場・第50番札所。天平勝宝年間(749~756年)、行基が『光明寺』を建立したのが始まり。空海が寺に逗留した際に『繁多寺』と改める。その後、一時衰退するが源頼義らの援助で復興。1279年には後宇多天皇の命で聞月が蒙古軍撃退を祈祷している。1288年、一遍が最後の遊行に出る前に3日間ほど籠もり亡父・如仏の追善のために三部経を奉納した。江戸時代には徳川家の庇護を受け栄えている。
感想:一遍と関係があると聞いて来てみた。

(山門)

(境内)

(本堂)

(聖天堂。夫婦和合や商売繁盛などのご利益があると言われる歓喜天像が安置されている)

(大師堂)

(ここから見る景色がいいと聞いていたのだが、どこから見ても微妙だった・・・)


26.星ノ岡城・・・松山市星岡町。後醍醐天皇の皇子・護良親王の令旨を受けた伊予の土居氏・得能氏・忽那氏・大祝氏が挙兵した。1332年2月、長門探題の北条時直は討伐のため今治市に上陸したが敗退する。そこで翌月に星ノ岡城を占拠し伊予の連合軍と戦ったが、大敗し時直は身一つで撤退している。
感想:特に興味があった訳じゃないけど、何となく・・・。

(全景)

(麓に建つ雲門寺)

(山頂に建つ岡薬師堂)

(山頂に建つ星岡表忠之碑)

(他の方のサイトにはこの辺りが堀切と書いてあったが・・・私の目にはただの道にしか見えなかった)


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