●日向 森田陣
住所:宮崎県都城市野々美谷町
駐車場:なし
遺構:空堀
標高:155メートル/比高:0メートル
慶長4(1599)年に忠棟が京都の伏見で島津忠恒に殺害されると忠棟の子・忠真は島津家に反旗を翻す(庄内の乱)。志和池城は忠真の領地を守る12の外城の一つとして重視し整備され、島津軍も忠真の本拠地・都城を攻める橋頭堡として重視した。島津軍は志和池城に攻撃を加えると共に島津忠恒が南西に陣を構え(森田陣)、補給路を絶つ作戦に出る。
伊集院軍は包囲を突破して兵糧を入れるなど抵抗したが、やがて食糧が尽き慶長5(1600)年には開城している。これを切っ掛けに他の城も落ちたため、忠真は徳川家康の仲介により忠恒に降伏した。
(下の縄張図の左上から続くのが森田陣。写真は島津中務陣跡になる)
(森田陣跡の案内板があった場所。家が取り壊された際に撤去されたようだ)
参考文献:宮崎県の地名、宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ、九州の名城を歩く 宮崎・鹿児島編、「不屈の両殿」島津義久・義弘
感想:遺構は分かりませんでした。県道420号線から東側の道に入れば空堀だったようです。何とも中途半端な城巡りになってしまいました。