住所:愛知県額田郡幸田町坂崎字御屋敷
1614年、天下のご意見番として知られる大久保彦左衞門忠教が陣屋を築いたのが始まり。忠教は小田原城主で甥の忠隣に2千石で仕えていたが、忠隣が改易されたため1千石の旗本となり、この陣屋周辺に領地を与えられている。
(境内にある平岩の射割石。近くにある坂崎城の城主となった松平氏の家臣・氏重は、この名石から姓を取って「平岩」としている。その子孫が徳川家康の家臣として活躍し尾張犬山城主となった平岩親吉である。明治になって用水路の橋材として利用されていたが、不要となったため境内に移転された)
感想:隣接する坂崎公民館の駐車場が広いため、そちらを利用しましょう。