大坂城の落とし方

 豊臣秀吉は大坂城を建てた後、伏見城で徳川家康ら諸大名と話しをしていた。
「こんなに念を入れて建てた城は日本で初めてだ。どう思う?」
 秀吉が自慢すると、家康は追従。
「日本はさておき唐でも咸陽宮(秦の始皇帝が首都咸陽に建設した壮大な宮殿)の他には聞いたことがありません」
「大坂城は力攻めでは大兵力でも落とすのは難しい。ただ落城させる手立てが一つだけある。それを当ててみろ」
 家康の言葉に喜んだ秀吉は問うた。発言した武将もいたが、家康は控えて答えなかった。
「家康殿は大方分かっているだろう」
 秀吉は意地悪く言った。大坂城が落ちた理由の一つはこの時のやり取りだという。(『語伝集』)

伏見城の模擬天守
京都市伏見区桃山町大蔵にある伏見城の模擬天守

管理人・・・原文では秀吉を『人を生たる虫とも思召さざる御大将にて』と評しています。

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