直次の配慮

 大坂冬の陣の和睦直後、徳川家康
『今回は和睦となったが一時のことなので翌年2月にはまた大坂に出陣する』
 と考えて内々に全軍に伝えようとした。しかし大軍なのでどこからから敵に漏れるか分からない。
「年内は黙っておこう」
 家康は家老達とそんな密談をしていた。その時、安藤直次がたまたま隣の茶室にいたが、重要な話になったため部屋から出るに出られず熟睡したふりをして全てを聞いてしまう。

安藤直次の墓
愛知県岡崎市大和町沓市場65の妙源寺にある安藤直次の墓

 翌年の春、急に陣触れが出たため誰もが慌てて騒いだが、直次は落ち着いて一番に到着した。いつも心掛け油断がないということで褒美があったが、直次は
「そのことですが、今後、御密談の際は戸障子を外して遠くまで見通せるようにしてからにしてください。去年の冬の御密談の際に私は持病のせいで茶室で休んでいました。そこで御密談が始まり出るに出られなくなって熟睡したふりをしたので全てを知ってしまいました。そのことをすぐに申し上げようと思いましたが、そうすると御密談が破れたことになりますので黙っていました。そして配下の者にも周りに気付かれないように気を遣わせ用意をさせていました」
 と謹んで答えた。
 今に始まったことではないが家康は直次の智慮に感心したという。(『明良洪範』)

UPDATE 2012年6月29日
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