城内への内通

 大坂冬の陣後、和議の条件として総堀を埋め石壁を壊すことになり、徳川軍の下奉行として青山石見守や山田十太夫らが選ばれた。青山石見守は関ヶ原の戦いで祖父江法斎という名で福島正則の手に属して功をあげ、その他にも度々武功があったため、正則が徳川秀忠に推薦して召し出され、青山忠成の組に属した。そして還俗し忠成の苗字をもらって青山石見守と名乗った。石見守は福島家の家臣の頃より徳川家康の覚えがめでたくよく寝所にも召し出されたほどの者だった。
 石見守は他の者と一緒に城内に入った際、、女性から声をかけられた。
「御使番の青山石見守殿ではありませんか」
 石見守は顔を赤らめながら返事をした。すると女性は声高に
「秀頼様は変わりないので安心してください。そちらもご無事そうでめでたいです」
 と言って通り過ぎた。焦った石見守は、他の奉行達に対して弁解。
「私の親戚が篭城しており、その女房を良く知っていたので声をかけられた。これが家康公の耳に達すれば必ず糾弾される」
「例え内通していたとしても、和睦になった上は大丈夫だろう」
 他の奉行達は安心するよう言ったが、どこからか上にこのことが知られ、裏切り者ということになって成敗された。
 のちに皆が
「徳川軍が不意に鯨波の声を上げても城内は少しも騒がず、逆に大筒小筒を撃ちかけてきた。これは石見守が内通していたためだったのだろう」
 と噂している。(『難波戦記』)

竹腰城
愛知県稲沢市竹ノ腰西町字城屋敷にある祖父江氏の居城・竹腰城

管理人・・・・・・石見守は話から推測する限り、冬の陣後に改易になった竹腰城主・祖父江信勝のことだと思います。

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