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地獄での再会
松平忠直の家臣に原貞胤という者がいた。武田信玄の家臣だったが、武田家の滅亡後に浪人となった。しかし無双の剛の者だったため忠直によって召抱えられ、黒幌衆に加えられ軍使となっていた。 真田幸村は貞胤と知り合いだったため 「和睦の後に互いの苦労を語り合って、慰め合いたいから私の家に来てくれ」 と招待した。貞胤はどうしようか迷って忠直に相談すると「行って来い」と許しが出たので喜んで幸村の陣所に向かった。幸村は喜んでもてなし昔話をして、お互いに泣いた。
宴会が終わると幸村は思いを語り始めた。
「穆王の八匹の天馬(古代中国の伝説の馬。鳥よりも速いものなどがいたといわれている)に匹敵するような速さだろう」 馬を自慢した後、 「もし今度合戦があれば、城郭が破壊されているので平野(へいや)での合戦になるだろう。平野(ひらの・地名)辺りで徳川の大軍とぶつかり、この馬の息が続かないほど戦って討ち死にするつもりならば、これは秘蔵のものだ」 そう語って馬から下りた。 そしてまた酒宴を再開し夕方になって貞胤は帰って行った。その翌年、天王寺・岡山での最終決戦で幸村は上記の兜を被り上記の馬に乗って討ち死にしている。(『難波戦記』) 管理人・・・・・・締めの言葉は『そんな幸村は健気でそして哀れだ』となっています。 Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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