治長を褒める

 和議の際、織田長益大野治長徳川家康と会うため、茶臼山に来た。その時、家康は本多正純を呼び、治長を指して
「この前までは若輩者だと思っていたが、今度の戦いで豊臣軍を仕切った手腕は言うに及ばず、豊臣秀頼公への忠節も浅からず思っている。正純も将軍(徳川秀忠)への奉公を治長にあやかるように」
 正純に見習うように言うと、治長の肩衣をもらって正純に着させた。これに治長は感動し涙を流している。(『大坂御陣覚書』)

茶臼山
大阪市天王寺区にある茶臼山

管理人・・・この逸話は家康が治長を調子に乗らせ、豊臣軍をますます混乱させる為だったということで知られていますが(参考文献の『日本戦史 大阪役』の題名も『家康、大野治長ヲ翻弄ス』となっています)、本当にそうなんでしょうか? ただ単純に褒めたということは考えられないのでしょうか?
 私の勉強不足かもしれませんが、その後、家康が「誰があんな人間など褒めるものか」というような文章を(原文で)見たことがありませんので、100%家康の謀略とも思えないんですが、、、。治長と家康という二人が関わっているので『愚か者』が『狡猾な狸親父』に騙されたという偏見があるように感じられます。

UPDATE 2005年7月14日
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