木村重成の妻について

 木村重成の妻は青柳が一般的だが、もう一人、妻と言われる人物がいる。
 名前は妙意(もしくは『いと』)。1579年、摂津難波で生まれた。父は足利家の家臣・関本某で足利幕府が滅んだ後は摂津に隠れ住んでいる。しかし妙意は賢く器量が良かったため、1593年に木村重成の妻に選ばれる。
 重成が戦死すると、妙意は落ち延び丹後の大名・京極高国の乳母となった。1623年に江戸に移住。京極家が内紛で改易され盛岡に蟄居させられたため、1665年に幕府の許しを得て盛岡に移り1669年2月22日に死亡している。高国は罪がある身だったため、妙意を埋葬するのを遠慮し、妙意の娘婿で伊達家の家臣だった中村茲景宛てに火葬した遺骨を仙台に送った。受け取った茲景は正楽寺に葬っている。(碑文より)

木村重成表忠碑
大阪市北区中之島の中之島公園内にある木村重成表忠碑

管理人・・・矛盾がある気がします。1593年は重成が生まれた歳くらいですし、落ち延びて乳母になれるってのも不自然です。

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