是非討死を

 1615年5月6日の道明寺の戦いの前に、松平忠明の家臣・山田十郎兵衛と菅沼何右衛門の両名は路地で口論となってしまう。そのため、戦が始まると互いに戦功を争った。やがて十郎兵衛は首を獲り陣に戻って実検したが、その際、他の者に何右衛門のことを聞くとすでに討死していた。
「私は何右衛門に討死にすることを誓った。私も討死にする」
 十郎兵衛の発言に対して同僚が止め、忠明も制止。
「死ぬのは時の巡り合わせだ。無理に討死にするのは忠節ではない」
 しかし十郎兵衛は味方の隙を見て敵に突っ込んで討死にした。(『山本日記』)

UPDATE 2005年11月28日
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