若者と老巧の士

 天王寺・岡山での最終決戦の際、毛利勝永隊は秋田俊季軍と堤を隔てて戦っていた。
「適当に射撃をするな。鉄砲を放つ時は心を静めて下に向けて放て」
 勝永が命令。その時、俊季軍が堤の上に登って一斉射撃をしたが、勝永隊は堤の下に伏せたため弾は上空を飛んで行き当たることはなかった。
 毛利隊の鉄砲頭に岩村清右衛門と佐治内膳という者がいた。内膳は若武者で清右衛門は経験豊富な武者だったため、内膳は常に清右衛門を目標としていた。清右衛門が鉄砲を取って立ち上がり二発放つと、内膳も倣って放った。清右衛門が槍を持って堤を走り降り
「槍を合わそうと思う者はここだ」
 と叫んだため、内膳も並んで進んだ。すると槍先を揃えた4人の敵と相対した。内膳は清右衛門より前に出ようとし清右衛門も内膳には後れを取るまいとして競って掛かったため、敵4人を10歩ほど押し勢いを弱めさせた。
 そこで敵が槍を投げたところ、清右衛門の鎧の胸板に当たり、彼は倒れてしまったが、内膳はこれをも顧みず敵を追い立てた。その時、敵は短刀で清右衛門の首を取ろうとしたが、毛利隊が声を上げて進んだため、堤の上の秋田軍は兵を引いた。その際、内膳は清右衛門の首を取ろうとしていた敵をうつぶせにして押さえて逆に首を取っている。(『砕玉話』)

管理人・・・原文ではただ『大坂の陣の時』となっていましたが、毛利勝永と秋田俊季は冬の陣では守備位置と攻め口が反対なのでぶつかる可能性はなく、また天王寺・岡山での最終決戦で勝永の真正面に俊季が布陣しているので夏の陣で間違いないでしょう。

UPDATE 2014年5月9日
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