受け取るべき

 天王寺・岡山での最終決戦の朝、小笠原家の家臣・将監は敵の近くで珊瑚珠の念珠をかけ馬に乗っている本多忠朝を見かけた。忠朝は将監と顔見知りだったため声をかけてきた。
「すぐに先陣を切って討死してみせよう」
 それから将監が家来の淺川興惣兵衛に馬を引かせて進んでいると敵が見えてきた。
「良い敵に見えます。討ち取られるといいでしょう」
 興惣兵衛が勧めると、将監は馬を下りて敵に声をかけ槍を合わせて首を取った。その時、興惣兵衛は別の敵と戦って首を取っていた。
 大坂の陣が終わり小笠原忠真が家督を継いだ際、将監には上記の功で200石の加増の話が出たが、
「両殿様(小笠原秀政忠脩父子)が討死の上はもらってもしょうがない」
 という理由で受け取らず、小笠原隼人も同様の理由で受け取らなかった。その後、鹿島佐左衛門が二人を評して笑った。
「後日断るにしても取りあえずは受け取っておくものだ。手柄の加増は1石でも受け取るものと決まっている。感状も同じだ。これは老侍から伝えられていることだ」
 (『小笠原代々記』)

管理人・・・載せておいて何ですが、前半の忠朝の話は何の関係があるのでしょうか…?

UPDATE 2013年7月21日
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