留まるべきか否か

 天王寺・岡山での最終決戦で敵味方が入り乱れ徳川軍の中で敗走する者が多く出た際、加藤嘉明黒田長政の二人もその場にいた。そこに徳川家康から五文字の指物の使番が来て
「話し合いたいことがあるので、急いで本陣に来るように」
 と伝えた。嘉明は騎馬武者20騎、長政は50騎を連れていたが、本陣には手勢の者を連れずに各々一人で向かおうとした時、長政の家臣の一人が
「本陣にお二人とも行かれると味方が崩れてしまうので、お二人の内一人は留まって指揮を執ってください」
 とお願いした。しかし長政は
「なになに」
 と言うだけで、はっきりしたことを言わなかったため、その家臣は嘉明にもそのことを何度もお願いした。だがやはり嘉明も長政とその侍を見合わせて何も言わなかった。
 その時、長政の馬廻の番頭・吉田宮内という者が進み出て言上した。
「恐れ多いことですが、この私がいる限り手勢を一人も崩れさせるようなことはしません。早くお二人とも本陣に行ってください」
 それを聞いた嘉明は長政に
「さてさてこの宮内という侍は勇敢な者だ。それに比べて先ほど『二人のうち一人は留まれ』と言った侍は大臆病者だ。あのような臆病者の知行は取り上げて宮内に与えられた方がいいだろう」
 と提案し、二人とも宮内に任せ手勢を置いて本陣に向かっている。(『翁物語』)

管理人・・・その後、宮内は用人(老臣の次に位し、財用をあずかり、内外の雑事をつかさどったもの。御用人)となり、留まるように言った侍は処罰されたそうです。

UPDATE 2014年2月5日
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