すまない

 6日の夜、長宗我部盛親は唐冠兜の耳の片方を打ち落とされ泥まみれになって大坂城に戻ってきた。
「多くの味方を討たせて帰ってきたので面目ない」
 玄関で詫びた。その後、豊臣秀頼に呼ばれ「ご苦労であった」ということで広蓋(衣装箱のふた。昔、衣を人に与えるとき、これにのせて与えた)に服を載せて渡されている。(『老将座談』)

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