島津義弘の書状

 大坂夏の陣の際、島津義弘・家久父子の使いとして久国という家臣が書状を携え板倉勝重のもとを訪れた。勝重は2〜3畳の小さい座敷でコタツにあたっていたが、久国にもっと近くに寄るように言った。久国は遠慮したが
「話があるから近くに寄りなさい」
 と言われたためコタツの傍まで近寄った。
 勝重は久国が近くに来ると同席していた道正(おそらく板倉家の家臣)に尋ねた。
「京の住民は豊臣軍の勝利だと噂しているというが本当か」
「そうです」
「それを聞いてから義弘殿よりの書状を見ると皆がこのように考えているのに、京の住民の評判には笑ってしまう」
 義弘の書状には『大坂はすぐに落城するでしょう。その理由は豊臣秀頼は乳飲み子なので命令はできません。淀殿の命令は女なのでますます良くありません。組頭の将に評判の良い者は一人もいません。浪人達が籠もっているが人数が少ないので大勢に影響はありません。落城した時は祝いの言葉を申し上げます』と書いてあった。(『久国談話』)

義弘の像
JR鹿児島本線の伊集院駅前に建つ島津義弘の像

管理人・・・京の住民は期待も込めて豊臣家にも勝利の可能性があると噂していたのでしょう。

UPDATE 2013年11月8日
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