重成の戦死の状況(その2)

 若江の戦いで、井伊直孝の家臣・安藤重勝が、豊臣軍の大将・木村重成の首を獲り、井伊直孝に差し出した。
「これは拾い首ですが、有名な武将の首ですので、是非とも上に献上して下さい」
 そこで直孝が徳川家康
「何の役にも立ちませんが」
 と言って差し出すと、家康は重勝に
「首を獲った時の状況を話せ」
 と命じた。

「今日の戦で葦原を下人2〜3人と一緒に通りかかりました時に、武将が床几に腰掛け下人4〜5人が横におりました。私が『井伊家の家臣・安藤重勝だ。年は17。敵ならば尋常に勝負しろ』と名乗りましたが、相手は名乗らずに『私は秀頼様のために命を捧げた身だ。首を獲って高名にしろ』とだけ言いました。しかし私が『勝負せずに首を獲ることは出来ない。槍を合わせ運を天に任せる』と言うと、相手は『私の誤りだった』と腰掛けたまま槍を取って、私と何度か合わせましたが『これまでだ。討ち取れ』というので首を獲りました。敵の下人達は戦わずして逃げましたので、これは拾い首になります。後で人に見せたところ重成のものだと判明しました」
 家康は重勝の包み隠さない物言いに感心。
「若いのに正直に報告したその行為こそ武士の本来あるべき姿だ。名将の首を獲るのが古今の名誉。直孝、この者に知行3000石を取らせよ」
 そして感状と腰の物を重勝に与えた。(『古老物語』)

木村重成の首塚
滋賀県彦根市本町2−3−7の宗安寺にある木村重成の首塚

管理人・・・重成の戦死の状況(その1)と討ち取った状況が違うので読み比べてみてください。

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