柵を使って策を練る

 1615年5月6日、平野権現堂で本多出羽守と本多忠純は久世三四郎と坂部三十郎を呼んで
「前線を見回って何か変わったことがなかったか」
 と尋ねた。そこで二人は
「特に変わったことはありませんでした。しかしこのようなことがありました。敵が大和川の内側(大坂城の方)に板を立てて柵を作っていましたが簡単に追い散らせそうに見えました。その時、敵を追い散らすよう秋田実季に命令が下されたので、実季は家来と軍議を開きました。そこに一人が進み出て『敵は何かを企んでいる様子です。先に忍を偵察に出した方がいいと思います』と進言したので、忍の名人を遣わせたところ、柵の前に五尋(ごじん、六尺×5=約9メートル)程の深さの淵がありました。敵がこちらを欺くための策だったようです」
 と話した。(『老将座談』)

実季の墓
三重県伊勢市朝熊町1212に建つ実季の墓

管理人・・・この話は6日ではなく5月7日もしくは冬の陣が正しいと思います。

UPDATE 2013年11月22日
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