酒好き

 1615年5月5日、若江の戦いの前日に井伊直孝軍は松原に移動した。そのため、冬の陣で負傷した井伊家の家臣・木俣守安も籠に乗って移動し、その家来である福留親政も馬で従った。親政は、守安から石原主膳・三浦熊之助・佐又伝左衛門ら3人とともに、ノシ昆布とカチ栗を賜った。
「ついでに酒も頂きたい」
 伝左衛門が言うと、守安は拒否。
「酒はもうない」
「半月ほど前、馬に酒が積んであるのを見ました。俺は酒好きなのでなんとなく分かるのです。最後に飲みたいものです」
 伝左衛門の言葉を受けて、守安が足軽に調べさせると実際に酒が残っており、守安を驚かせた。
「当たっていたでしょう」
 伝左衛門は自慢げに言った。
 そしてその酒を5人で飲んだが、伝左衛門以外は下戸なので一盃でやめてしまった。しかし伝左衛門だけが二盃目も飲もうとしたため、親政が
「明日の門出にはそのくらいでいいだろう」
 と制止。飲み足りない顔をした伝左衛門を見た皆は大笑いした。(『福富覚書』)

管理人・・・酒飲みはどんなところからでも酒を見つけると言いますが本当なんですね。しかもこの時代は配られた米まで酒に変えていますから、もうなんでもありです。

UPDATE 2005年10月10日
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