森忠政の読み

 1615年5月6日午後5時半頃、京極高広の家臣・川島八右衛門は徳川家康のご機嫌伺いに行った。その際、家康は八右衛門の肩を揺すりながら命令した。
「船場口に陣している森忠政のところに立ち寄り、道明寺・八尾の戦いで味方がたくさん討死したので八尾の守りが薄くなっているから、そちらに軍をまわすように伝えろ」
 八右衛門はその足で森軍の陣所に行き、家康の命令を伝えた。忠政は軍議を開き自説を述べた。
「八尾への道は詳しく分からないし、八尾に行っている間に総攻めになるかもしれない。そうなれば功が立てられない」
 これに家臣達も賛同したため、忠政は軍を八尾方面にまわさないことを決め、八右衛門を帰した。
「八尾に行けば功を立てられたのに」
「いやいや、八尾へ向えば何もなく終わり功は立てられなかった。忠政殿の智謀はさすがだ」
 世間の忠政の判断は賛否両論だった。(『森家先代実録』)

森忠政の墓
和歌山県の高野山にある忠政の墓

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