物見の仕方

 1615年5月上旬、徳川軍は横田重量を摂津住吉辺りに物見に使わせた。重量は馬一騎で具足の上に雨羽織と編み笠を着て、住吉を過ぎて更に先に進んだところ、農作業をしていた百姓が一人いた。その向こうは勝間(こつま)村だった。
 重量は百姓に豊臣軍のふりをして状況を尋ねた。
「もう皆は御出陣なされた。勝間には誰が入られたのか」
「勝間には大野治房が来られた。他の方々もおられます」
「さて大坂に敵が来るので、その支度か」
「その支度です。今度は大坂の勝利でしょう」
 そこで重量は
「私は江戸の将軍の使番・横田重量と言う者だ。大坂の奴らの首をみんな取ってしまうぞ。おのれ百姓め」
 と刀を抜いて見せた。すると百姓は鍬を捨てて勝間に逃げてしまったため、重量は急いで人に紛れて堺口へ乗り込んだ。一方、豊臣軍はその百姓から徳川軍の物見がきたことを聞いて知っている。(『小早川式部翁物語』)

管理人・・・本文とは関係が無いですが、勝間村は木綿織物の生産で知られていました。

UPDATE 2013年8月25日
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