首はどちらに?

 若江の戦いの際、森川内膳正という武将が主君(徳川秀忠か?)から咎めを受け酒井家次に預けられていた。しかし酒井軍にいては敵と遭遇出来ないと考えた内膳正は密かに井伊直孝のもとに行き、従軍させて欲しいと懇願した。直孝は少しも気にせず
「他の者と相談するがいい」
 とあっさりと許可した。そこで内膳正は更に願い出た。
 「ありがとうございます。それではそちらの家中の柏原忠右衛門とかねてからの知り合いなので、彼と相談して先鋒としていただきたい」
「好きにするがいい」
 直孝はそれも許可したため内膳正は先鋒に組み入れられた。
 しかし直孝と忠右衛門には異論がなかったとはいえ、家中の先鋒の者達は井伊家とは違う旗印がある事情など知らなかったため、内膳正を脇に追いやってしまう。やがて戦が始まり敵味方入り乱れると敵の数が多かったため、内膳正の方にも敵が向かってきた。内膳正が槍を合わせ首を獲り、直孝のもとに持参した。
「手柄だった」
「首はどうしましょうか」
「好きにするがいい。酒井家に持参しても今回の働きに関しては私が上(将軍家?)に報告しておく」
 直孝が内膳正の功を保証した。
「それならば私は酒井家の預かりの身なので、首はそちらに持っていきます」
 内膳正が持って帰り事情を話したため、首は酒井家から上に披露された。(『大坂夏陣推察記』)

井伊直孝の墓
東京都世田谷区豪徳寺の豪徳寺にある井伊直孝の墓

管理人・・・他家で首を獲るといろいろややこしいことがあったのですね。森川内膳正は森川重俊のようなので、大久保忠隣の改易の際に妻が忠隣の養女だったため連座して罪を咎められ大坂夏の陣の時は家次に預けられていたようです。

UPDATE 2012年7月13日
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