旗本崩れ

 小笠原秀政忠脩親子が天王寺・岡山での最終決戦で討死したのは、豊臣軍の毛利勝永が突撃してきたからである。この局地戦での勝利で徳川軍が押された。この時、伊達政宗が味方を鉄砲で撃ったのもそのためである。勝永のために旗本崩れという先鋒が負ける戦となってしまった。
 夏の陣は冬の陣とは違い細かい軍法がなかった上、徳川秀忠の指揮で戦ったため、旗本崩れとは言っても秀忠の馬近くまでは敵が来なかった。(『玉露證話』)

管理人・・・言いたいことがよく分かりませんでした。徳川軍の先鋒は負けたけど、大雑把な軍法のために兵達が各々の判断で戦えたのと秀忠のおかげで最後は撃退したということでしょうか。

UPDATE 2012年3月19日
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