後追い討死

 天王寺・岡山での最終決戦で、小笠原秀政軍は毛利勝永隊に苦戦を強いられていた。その時、小笠原家の家臣・嶋立内膳が傷を負いながら青毛の馬に乗って首2つを取り帰った。
「殿! 殿!」
 しかしすでに秀政・忠脩父子は討死していたため、同僚の小笠原隼人が
「今朝、殿は御討死なされた」
 と説明すると、内膳は首を投げ捨て忍の緒を切り、兜も馬上より捨てた。
「御討死のお供をする」
 そう言うと敵のところに引き返そうとした。
「内膳殿が活躍されて、その上傷まで負われたことは明らかだ。功を立てられたのなら討死を考えるべきではない。お二人が亡くなられたからには、私達が力を合わせて家を盛り立てることが大切だ。討死は葉武者のすることだから思いとどまれ」
 隼人は引きとめた。しかし内膳はそれを拒否。
「お二人とも御討死されたからには生きていてもしょうがない。忠脩様が御討死された場所はどこだ」
「天王寺口のあの黒みで討死されたと聞いている」
 内膳はそこに乗り込んで戦ってすぐに討死している。(『小笠原代々記』)

毛利隊と徳川軍前線が戦った辺り
毛利隊と徳川軍前線が戦った辺り

UPDATE 2013年7月16日
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