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又兵衛の出奔
ある日、長政の前で猿楽の金剛大夫が能を見せた時、基次の次男・基則が小鼓の達人だったので能に合わせて打たされた。これを知った基次は激怒。 「能楽師と一緒にされるような辱めを主人に受けてまで仕えたいとは思わない」 暇を願い出るが長政はやはり惜しんでこれを許さなかった。 だが基次は「人は己を知る者に遭いて死すという。己を知らない主人に仕えてどうする」と、同僚達が止めるのも聞かず妻子郎党を引き連れて1606年の春に筑前福岡を出て行った。(『慶長摂戦記』) Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
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