又兵衛の気迫

 後藤基次は黒田家の家臣だったが主君・長政と折り合いが悪く出奔し京都に移り住んだ。それを知った長政は家臣二人を京都に刺客として送り基次の暗殺を計った。
 ある日、基次が家から出てきたので刺客の二人が近づくと、
「長政の命令で討ち取りに来たのか」
 そう言い残し基次は振り向きもせずに去っていった。刺客の二人は基次の気迫に圧されて動くことが出来なかった。刺客の一人はそれを恥じて「自害しよう」と言ったが、もう一人が「取り合えず上に報告しよう」と提案したため筑前に戻った。それを聞いた長政は「又兵衛に二人だけでかなうと思っていたわしが間違っていた」と二人を罰するどころか加増させている。(『明良洪範』)

後藤又兵衛と妻子の墓
鳥取市新品治町135の景福寺にある後藤又兵衛と妻子の墓

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