死ななかった理由

 大坂落城後、生け捕られた長宗我部盛親は、徳川秀忠が会いたいということで、白州に連れてこられた。その時の盛親の格好は木綿の袷を着ていたが、大男だったため殊の外窮屈そうで前が開いており見苦しかった。そのため連れて来た石谷十蔵が前を引き合わせている。
 秀忠は盛親と会うと近臣を通じて尋ねた。
「長宗我部は一手の大将なのだから自害をすべきだ。このようになったのが不思議だ」
八尾の戦いで朝は勝利をしたが、その後、赤備えが現れて譜代の家臣が70人程討たれたので敗軍は仕方が無いと感じた」
 盛親は少しも臆さず答えた。
「なぜ討ち死にするか、自害をしなかったのかと聞いているのだ」
「私は一手の大将なのだから軽々しく死ぬようなことはしない」
 その真意は、再び軍を起こして恥辱を雪ぐというものだった。その時、井伊直孝が進み出た。
「先ほど言われた赤備えとは私の軍のことだ」
「そうなのか。なんとも残念な戦いだった」
 その後は秀忠から何も聞かれずに、首を刎ねられることが決まった。(『兵家茶話』)

長宗我部盛親の肖像画
京都蓮光寺所蔵・盛親の肖像画

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