真田流軍学

 江戸時代に光明院派という真田流軍学があり、糀町光明院という真田幸村の落とし胤を名乗る人物が始めたという(奉公人という説もあり)。光明院は真田の関係者なので武士になれずに僧侶になって軍学を教えていた。光明院は19歳の時に八尾の戦いに遭遇し、長宗我部隊に追い立てられた藤堂軍の兵が激しい勢いで逃げ竹藪を押し倒して逃げるのを見たという。(『異説區々』)

管理人・・・光明院は108歳まで生きたという長寿の持ち主で、甲陽軍鑑は疑わしい内容だと言って用いなかったのだそうです。

Copyright (C) 2003 Tikugonokami.