大野道犬の末路

 大坂落城後、大野道犬が伏見で捕らえられた。豊臣軍が堺を焼いた際の総大将が道犬だったため、堺の住民は平重衡(平清盛の子。1180年源頼政らを宇治に倒し、南都の東大寺・興福寺を焼く。一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉に送られたが、南都の衆徒の要求で奈良に送還、木津川で斬首された)の身柄引き渡しを南都(奈良)が所望して叶えられたのを例に出して、京都所司代・板倉勝重に願い出た。勝重は聞き入れて引き渡したが、道犬が磔にされたのを見て不機嫌になり
「南都の者は重衡を磔にしたのか」
 と発言した。これに堺の住民は反論できなかった。(『武功雑記』)

管理人・・・火刑と話が似ていますが、微妙に違います。

UPDATE 2013年10月20日
Copyright (C) 2013 Tikugogawa.