兼光の刀

 上杉謙信は竹俣兼光という名刀を所持していた。この刀は元々百姓が持っていたもので次のような伝説があった。ある日、雷が激しく百姓に落ちてきそうだったため、刀を頭上にかざした。すると雷に打たれず何事もなく終わったため、刀の先を見てみると血が流れていた。また落ちた豆が刀にあたって二つに割れたという伝説があるほどの切れ味だった。
 竹俣兼光はやがて謙信の手元に上がった。それを所持して謙信は川中島に出陣し、武田軍の武将・輪形月平太夫が鉄砲で謙信を撃とうとした際、一刀のもとに切り伏せた。あとで平太夫の遺体を武田軍の兵士達が見ると、鎧も鉄砲も真っ二つに斬られていたという。
 その後、兼光は豊臣家に献上された。だが大坂城が落城して豊臣家が滅亡した時、落武者が刀を奪い逃げたという情報が入ったため、上杉家は『探し出した者には黄金300枚を与える』とお触れを出したが、結局見つからなかった。(『常山紀談』)

上杉謙信廟
山形県米沢市御廟1−5−30の上杉家廟所にある上杉謙信廟

管理人・・・本文にお触れを出したのは上杉家と書いていますが、原文には主語がなかったので幕府かもしれません。

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