女性の正体

 大坂の陣後のある日、伊達政宗が屋島の戦いの屏風を買って正室に送った。これを奥の間で女性達が見ていたが、一人の奉公人の女性だけが暗い顔をしていた。不審に思った皆はいろいろ聞いたが彼女は何も答えなかった。
 そこで問い詰めると彼女は涙ながらに驚愕の事実を語った。
「実は私は長宗我部盛親の後妻です。この屏風は婚姻の時に公家の実家から持参した物に間違いありません。大坂落城後、逃げ延び身の置き所が無くなり伊達家に奉公しました。逃げる時に子供と一緒でしたが途中で離れ離れになったことを思い出して・・・」
 これを聞いた政宗は哀れに思い、彼女を呼び出して尋ねた。
「その子の行方は分からないのか」
「連れて行くことが出来ずに町人に預けましたが、その町人の名前が分かりません。もう一度子供と会いたい」
 彼女は泣きながら答えた。そこで政宗は様々な手を使って、子供を探し出し引き取って自分の手で育てた。その子は成長すると伊達家の家臣・津田家を相続し津田丹波という家老になっている。(『南路志』)

源平屋島古戦場
源平屋島古戦場(写真は香川県高松市屋島東町辺り)

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