「真田幸村は大将に似合わぬ働きをした。それは前日の道明寺の戦いで伊達政宗軍と戦った際、8千挺の鉄砲に打ちすくめられ屈強の兵士を多く失ったことだ。そのために翌日の戦いではあまり活躍できなかったのだ」 徳川家康は幸村の戦いぶりをこう評している。(『老談一言記』)