掘り出し物

 藤重藤元・藤厳という奈良の漆工(漆で装飾加工したものを作る職人)職人の親子がいた。大坂城落城の際、徳川家康はその親子を召し出した。
「大坂城に行って宝蔵の焼け跡から名物の茶器を探し出し、修復して持ち帰るように」
 命じられた二人は直ちに焼け跡を探し、新田肩衝・しき肩衝・玉がき文琳・小肩衝・大尻張などの茶入れを手に入れたが、ほとんどが破損していた。そのため、巧みに仮継(とりあえず継ぎ足すこと)して、6月13日に京都に戻って家康に献上した。家康は大いに賞して米100石などを与えた。
「破損したものがまだあるはずだ」
 家康は再び探し出すよう命じた。親子は再び大坂城に入って名物を探し、付藻宗契肩衝・針屋円座・松本茄子などを手に入れた。すぐに仮継して同月26日に献上している。家康は大喜び。付藻宗契肩衝を父に、松本茄子を息子に与えている。
 この仮継は漆で磁器の破損部分を補修するもので、藤厳の発案だったという。また藤厳は抹茶を飲むときに使う漆器の中次(茶入れの一種。蓋(ふた)と身の長さが同じで、中央で合うようにしたもの)を作るのが巧みだった。結合する部分が緊密で、わずかな風や湿気も抹茶を汚すことがなかったため、皆がこれを愛玩したという。(『大和人物誌』)

Copyright (C) 2003 Tikugonokami.