五人衆の評価

 大坂城五人衆を評価すると、長宗我部盛親八尾の戦い藤堂高虎を破り、重臣達を討ち取ったが、これは彼らが自暴自棄で討死したので盛親の功ではない。落城の時も戦場から落ち延び京で捕まり斬首されたので、父・元親には遥かに劣る凡将である。
 真田幸村毛利勝永天王寺・岡山での最終決戦で他に援軍もなく、独力で徳川軍を窮地に追い込んだので天下に敵の無い驍将である。
 明石全登は手筈違いで肝心の戦いに参加できず、後藤基次道明寺の戦いで戦死したため何とも言えない。
 順番では古今独歩(卓越していること)は真田幸村、二番目は僅かの差で毛利勝永、これは真田が有名で毛利が有名でないためである。明石全登は遥かに劣り、長宗我部盛親は一番下である。後藤基次は死に急いだので比べようがない。(『翁草』)

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