幸村の家康狙撃作戦

 1614年11月27日、徳川家康が翌日に福嶋方面を船で巡視するという情報を察知した真田幸村は、射撃の得意な者50人と精兵18人を引き連れ、船で出て家康を狙撃しようとした。勝手に出るとまずいということで後藤基次に手紙を渡し、22時頃に天満川を出発している。
 博労淵の南の葦洲というところに着くと、船と身を葦の中に隠し朝を待った。冬なので事の他寒く、兵士達は抱き合って耐えた。幸村は兵士達の寒さを和らげるために酒を振舞い、油を塗らせて凍傷にならないようにしている。
 翌28日、家康は予定通り福嶋に巡察しようとしたが、徳川秀忠に止められ、代わりに本多正純らをやった。これを見た幸村達はがっかりしたが、兵士達は何か戦功を上げて帰りたいと考え
「本多正純でもいいから狙撃しましょう」
 と提案した。しかし幸村は
「俺は家康を狙撃するために来たのだ。他の者は撃ってはならない」
 と兵の願いを却下し兵を撤退させた。

真田幸村・大助親子の供養碑
長野市松代町松代1015-1の長国寺にある幸村・大助親子の供養碑

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