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和議を受け入れる
そのため、七手組・織田長益(有楽斎)・大野治長らは会議を開き、豊臣秀頼を諌めて和議を成立させようとしたが、秀頼は反対。 「篭城したのは運を開くためではなく、ただ亡き父の遺戒(後人のために遺した教えのこと)に任せてこの城で死ぬつもりである。新参の者(浪人衆)の本心が知りたい」
基次は豊臣軍の現状を語った。 「徳川軍の中でこちらに内通する将はなく、大坂城の弾薬・兵糧も限りがある。第一、篭城している者達の心が一致団結していない。先日、大坂城の南側を守る雲生寺(織田有楽斎の子・織田長頼)が射撃を止めさせ、誤って撃った者を処罰した。このせいで敵が堀際まで近づき、去る4日には堀を乗り越え攻撃を仕掛け来た。この時、女子供までが瓦や礫を投げて応戦し押されていたのに、雲生寺は出てこなかった。こんな状況では戦えない」 淀殿も和議に同意。 「秀頼のために関東に下る」 二人の後押しを受けて、長益や治長が最後の説得にかかった。 「家康は70歳余りの経験豊かな武将で武威は盛んだ。徳川軍は一致団結しており、大軍で時節を得て天下も保っている」 すると秀頼は笑って和議の成立を受け入れている。(『官本三河記』) 管理人・・・誰も抗戦する気がないため、秀頼は思わず笑ってしまったんでしょう。諦めの笑いという感じで哀愁を感じます。 Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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