進言するころあい

 大坂の陣の最中、藤堂高虎の陣に敵が出現した。その時、高虎は徳川家康の前にいたが、高虎の手の者が来て敵来襲の報告を告げた。高虎が家康に報告すると、家康は
「どれほどの敵が出たのだ」
 と聞いた。そこに横田重量が進み出て
「藤堂殿。敵が出たのにそのままにしておかれるのか。急いで行って打ち取って来なさい。多少の損害は気にしなくてもいいから敵を追い込むのだ」
 と散々に言ったため、無礼な態度に怒った家康は刀に手をかけ重量を叱りつけた。
 しかし重量は臆せずに急いで敵を追い込むようにくどく言ったため、高虎はその場を立ち去って自分の陣に戻った。その後に家康と重量は互いに耳打ちをしてその場は終わった。

 大坂の陣後、ある人が重量にその時のことを尋ねると裏事情を話した。
「家康様は私に『高虎は武功の者だが、遠慮が過ぎて手を打つのが遅くなっていたところに良く言ってくれた。私が命令しづらい時はいつでも言ってくれ。私が叱ったのは高虎の前だったからだ』と耳打ちされた」(『翁物語・老談記』)

藤堂高虎の墓
津市寿町の寒松院にある高虎の墓

管理人・・・『翁物語』では家康が重量に耳打ちした内容が違っていて『能く申したり。和泉守、武功なき者故我に尋に及不事を尋し也(よく言った。高虎は武功がない者なので、私に尋ねるまでもないことを尋ねたのだ)』となっています。

UPDATE 2005年7月13日
Copyright (C) 2005 Tikugonokami.