出撃の装備

 大坂冬の陣の際、奈良から大坂に向かう途中、本多正純が「御供の者に甲冑と弓矢を持たせて従軍させましょう」と徳川家康に提案した。
「関ヶ原の戦いの時に江戸の町人・金六と言う者がいて、従軍の際に具足を着ていたので、村越直吉が『町人の分際で馬や人を連れて武具を着用しております』と報告してきた。だがわしは『最後はどうなるか見ておれ』と放っておいた。やがて甲冑一式が木の枝にかけてあったので、持ってこさせて見ると果たして金六のだった。そこで金六に詳細を聞くと『張り切って甲冑を着ていましたが、次第にくたびれ着てるのが辛くなってきた上に、草摺(鎧の衡胴(かぶきどう)から垂らし、下腹部・大腿部を保護するもの)が股に当たって痛いのでずっと着ていられるものではありませんでした』と答えよった。その例で分かる通り、着て歩いても意味が無いので着させるな」
 家康は前例を引き合いに出し、正純の案を却下している。(『難波戦記』)

徳川家康の像
静岡駅前にある徳川家康の像

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