大坂の陣 砲撃戦

 大坂城を強引に攻めるだけでは落とせないと考えた徳川家康は大砲をオランダ・イギリスから輸入しそれを大量に使用した。この中の一つ、カルバリン砲は14キロの弾丸を6300メートルも飛ばしたという。その他国産の大砲も含めて300門を井伊直孝藤堂高虎松平忠直佐竹義宣の部隊と本丸に一番近い備前島から砲撃した。これが昼夜を問わず撃ち続けられ、その一発が淀殿の居間に当たり和議に至ったのは有名である。
 豊臣軍にも大砲がなかったわけではなく、朝鮮出兵の際に持って帰ったものがかなりあった。しかしこれらは暴発しやすかった上に火薬や砲弾が少なく撃ち返すことがあまり出来なかった。しかも射程が短くカルバリン砲には遠く及ばなかった。この大砲の性能と数の差も大坂冬の陣に多大な影響を及ぼしたといえよう。

備前島
現在の備前島

管理人・・・兵同士の合戦ばかりが取り沙汰されますが、この大砲も豊臣軍に与えた影響は大きかったです。

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