何事も心がけ次第

 松平忠直の家臣に増田作十郎と市十郎という兄弟がいた。理由は不明だが忠直の怒りを買い、越前の永平寺に蟄居し機会をうかがっていた。そこに大坂に出陣するという情報が入った。
「この時だ」
 二人は寺を出て、忠直の重臣・本多富正の家臣・赤見新兵衛という武勇名高き人物のもとへ向かった。
「私達二人とも今度の出陣を好機と思い、密かに御供し復帰できるか、もう駄目なのかを見極めるつもりです。しかし若輩者なので戦場に出た経験がなく、すべてにおいて勝手が分からない。あなたに教えていただきたいのです」
 新兵衛は二人の志に感動し涙を流しながら問うた。
「戦場での働きはいろいろある。二人にはどのような覚悟があるのだ」
「私達はご存知の通りの身分なので、命を捨ててもっとも優れたの功名を願うところです」
「もっとも優れていて難しい功名というのは場中(対陣している敵味方の間の場所のこと)でのことだ。詳しく言えば敵味方が弓や鉄砲で撃ち合いを始めて、応酬の盛んな時に敵陣に駈け入って首を獲ることだ」
 二人は新兵衛から詳しく戦場でのことを教えられると
「おかげで戦場での働きが良く分かりました。本当にありがとうございます」
 と、お礼を言って、忠直の軍勢の後を追い大坂に向かった。
 そして遂に大坂冬の陣のある日、越前松平軍は敵と戦闘することになった。そこで敵味方の矢合せ(開戦を通知する矢をお互いに放つこと)が始まった様子を見た二人は、あちこちを見て回った。すると場中になりそうなところにへこんだ地形があったため、先陣の者に咎められるのを恐れてそこに隠れ機会をうかがった。
 やがて敵味方の間合いが詰まり、好機と思った二人は敵陣に走り出して敵を切り伏せて重傷を負いながらも首を獲って退却した。このため越前松平軍の中では一番首になったという。(『明良洪範』)

管理人・・・『何事も始まりからの心がけ次第だ。人並みのことをしようと思っていたら人に後れをとる。増田兄弟は今度の戦いで生きるか死ぬか二つに一つと思っていたため、様々な工夫や手段を用いたのだ。深く思い込まなければ功をなすことなど出来ない』と文書が続いています。確かに言われる通りですね。
 その後の増田兄弟はどうなったのか書いてないので不明ですが、復帰したのでしょう。これで軍規違反で切腹や追放だったら後味が悪いですから…。

UPDATE 2011年9月4日
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