生鯛

 大坂冬の陣の最中、豊臣軍は度々忍を送って徳川軍の様子を探ろうとしたが、あちこちで捕らわれて、坊主にされたり鼻や耳をそがれて城内に追い帰された。そのためもう一度偵察に出ようと言う者はなかった。そこに大野治長の家臣・米村権右衛門が願い出た。
「この頃、忍び出る者がなく、城外の様子が分からない。私が出て様子を調べて来ましょう」
 権右衛門は忍び出て、徳川軍の各陣を廻った。その後、堺に行って様子を聞き、生鯛を買って両袖に入れ隠し大坂への帰路についた。その途中、本多正純に出会ってしまう。
 権右衛門は正純のところに何度も使者として行っていて知り合いだったため、顔を見られるわけにはいかなかった。しかも笠を被ってなかったため、仕方なく片目をつぶって潰れた振りをして足を引きずり乞食の真似をして通り過ぎたため、正純は気づかずに通り過ぎた。

 権右衛門が城外に出た後、和平の話が決まった。明日は和平の使者が来るという夜に権右衛門は忍んで戻り治長に報告し、生鯛を献上した。治長は大変喜んで一つを豊臣秀頼に献上し、一つは組頭に料理をして振舞おうとした。
 その時、徳川家康からの使者として常高院や正純ら4人が城内にやってきたので、上記の生鯛を料理して出した。使者は戻ると家康に大坂城に生鯛の料理があることを報告した。
「徳川軍の中に内通者がいて生鯛を送ったのかもしれない」
 家康は疑心を抱いた。(『翁物語』)

本多正純の墓
東京都南区麻布台2−3−22の一乗寺にある本多正純の墓

管理人・・・『これはひとえに権右衛門の才覚が故だと聞き及んでいる』という文章で締められています。

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